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オタクはソレを我慢できない

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『未知との遭遇』から遠く離れて-「思い出のマーニー」の感想

これは「呪い」を解く物語――

その始まり――「呪い」とは ある人に言わせると自分の知らない遠い先祖の犯した罪から続く「穢れ」と説明する

あるいは――坂上田村麻呂が行った蝦夷征伐から続いている「恨み」と説明する者もいる

また 違う解釈だと 人類が誕生し物事の「白」と「黒」をはっきり区別した時にその間に生まれる「摩擦」と説明する者もいる

だが とにかくいずれの事だが「呪い」は解かなくてはならない

さもなくば「呪い」に負けてしまうか…
                                        「ジョジョリオン」1巻 第1話より




「思い出のマーニー」という映画を観てきました。
CIMG1064.jpg

スタジオジブリの最新作ということもありますが、私にとってはそれ以上に、個人的にとても好きな作品「借りぐらしのアリエッティ」の監督である米林宏昌さんの最新作、という点が大きなフックになっていました。

「借りぐらしのアリエッティ」は、巷の評判ではなにかと厳しい評価を受けることの多い作品で、これまで肩身の狭い思いをしてきた経緯もあり、

頼む、『マーニー』はこれまで『アリエッティ』のこと悪く言ってたやつらを見返せるような作品であってくれ…(>_<)

というようなあまりよろしくない気持ちも抱えつつ、期待半分不安半分くらいの気持ちで観に行ったわけです。

そしたら、これがとても素晴らしかった!

こういう言い方するとすごくアレですが、今まで観てきたジブリ映画で初めて落涙した作品になりました。
(まあ、今までのジブリ作品でもとりわけ感動の方向に針が振れている作品、というのも多分にあったんだと思いますが…)

色々と語りたいことはあるのですが、今回は主人公の一人である杏奈ちゃんの変化についてと、このお話の中で一、二を争う盛り上がりポイントと思われる、杏奈ともう1人の主人公マーニーがメインの舞台でもある湿っ地屋敷(しめっちやしき)で対峙するシーンを中心として感想を言ってきたいと思います。

割とネタバレあるから注意だよ!!!








○絶対的でない「少女」
私は、宮崎駿氏の作品に代表されるいわゆる「ジブリヒロイン」というのが、いいとこもあるのですが、少し苦手だな…と思う部分がありました。

いつも活発に飛び跳ね、元気に世界を縦横無尽に駆け回り、自分の中に1本通った筋をもっていて、それを曲げない強さをもっている。

要は、あまりにも超人的すぎる、揺るがなすぎる感じがちょっと苦手で観ていて気持ちよさも感じるんですが、同時に
「こんなやついねーよ…」
という、100%感情移入できない思いを持ち続けていました。

「思い出のマーニー」に登場する杏奈は、そんな今までのジブリヒロインからはかけはなれた存在として描かれています。
冒頭のシーンのセリフに、それは顕著に現れています。

――― この世には、目に見えない魔法の輪がある。

     輪には内側と外側があって…私は外側の人間

     でも、そんなのはどうでもいいの

     私は…私がキライ ―――



内向的で、自分に対して自信がなく、周りと距離をとってしまう。
そんなアウトサイダーとして、杏奈は登場します。

個人的にはこの時点で、彼女にどっぷり感情移入せずにはいられませんでした。
その後も杏奈は、この「自分が嫌い」という表現を繰り返し言葉に出していきます。

米林監督は、雑誌「CUT」でのインタビューで前作「借りぐらしのアリエッティ」について、なにかやり残したことはないかと尋ねられた際に「(人間側のメインキャラクターである)翔の内面をあまりにも描いていなかった」
という内容のことを答えていました。
ひょっとしたら、今回のマーニーでの杏奈の内面描写の多さはアリエッティの反省からきたものなのかもしれません。

このように「特別」でないヒロイン、「絶対」でないヒロインを描くという点で、この作品がこれまでのジブリ映画とは何か違うぞ…という予感をしょっぱなから感じさせてくれました。
嬉しい予感か不安な予感かは人ぞれぞれでしょうが、私は―――言わなくてもお分かりですねw


○マーニーとの邂逅
さて。
そんな杏奈は、自分の患っているぜんそくの治療のため、養母の親類の住む田舎へ夏休みを利用して療養にやってきます。
豊かな自然やおいしい空気に囲まれ、杏奈のぜんそくも治り、心も晴れやかになる…かというとそんなことはなく、他人の好意を素直に受け取れずおせっかいに思ったりと、そのぼっちぶりを遺憾無く発揮していきます。(胸が痛い)

とりわけ養母である頼子へはきつい当たりが続き、「様子を伝えて欲しい」と渡された手紙も、そっけない返事が続きます。
そんな自分と周囲との不協和は七夕で決定的に。

ところで、この七夕に行く事になる一連のシーンすごくよくできてて!
初め、なんとなーくついていっただけなのに、自分の気持ちをまるで考えずどんどん自分の望まない方向に話が決まっていっちゃう感じ。
で、今更断るに断れなくなっちゃうあの感じ!!!
自分の過去のあれとかこれとか色々と思い出すものがあって、きまずシーンとして屈指の出来だと思いましたね…(胸が痛い)

同じ年頃の女の子の信子は、杏奈と打ち解けようと積極的に話しかけていきますが、自分の眼のことを言及されて思わず
「太っちょ豚!」と暴言を吐いてしまいます。

ちなみに、ここの杏奈ブチギレからの一連のシーン、信子の友達2人のリアクションが
「やべえよ…やべえよ…」
って感じがめっちゃ出てて可愛いので注目です。はい、バカです。


――― 私は私のとおり…みにくくて…ばかで…不機嫌で不愉快で…

     だから私は私が嫌い…だからみんな私を…! ―――



自己嫌悪を募らせその場から逃げ出した杏奈は、以前気になって向かった湿地屋敷へ再度向かい、そこで謎の少女マーニーと出会います。
それから2人は、幾度も、ドキドキしつつも幸せな逢瀬を重ねていきます。






○前髪の変化
マーニーの影響だけでなく、大岩のおじさんおばさんとのふれあいも通して、杏奈は笑顔をよく見せるようになり、だんだんと「普通の子」ではなくなっていきます。それを一番表しているのが、杏奈ちゃんの前髪の描写だと思いました。

CIMG1065.jpg

これは、「思い出のマーニー」を制作するにあたっての設定段階の杏奈のラフです。これを見ると、杏奈はもともと髪のボリュームが今よりも大きめに設定されていて、目が隠れる位のものであったことがわかります。杏奈にとっての前髪は、自分と世界を隔てる壁のようなものだったと考えることができます。



CIMG1066.jpg


そして、このラフ画では髪留めを使うことで、視界が開けて表情も明るいものに変わっています。髪留めをつけた状態の杏奈は、他者との壁をとっぱらった感情豊かな女の子として描かれています。



実は、物語の中盤くらいで、この「杏奈が髪留めで前髪をまとめるようになる」という描写は早々に登場します。杏奈の心の成長だけなら、前髪をまとめてアレをアレした姿を見せたこと(申し訳程度のネタバレ回避)で、それで終わっていたことでしょう。

リアルが充実していき、軽度のリア充となった杏奈は、急にマーニーのことを思い出せなくなります。
この映画は、杏奈が現実に対して折り合いをつけられるようになっただけではダメであることをここで示しています。
杏奈だけではダメなのです。



――― マーニーが誰だってかまわない。私、マーニーを助けたい! ―――


マーニーに再び出会い、お互いに自分の持つ秘密を打ち明けあった2人は、マーニーのトラウマを克服するためにサイロに向かいますが、杏奈はそこでマーニーにおいていかれてしまいました。幼少期に自分を残して死んでしまった両親に対して感じていたやるせない許せなさを、彼女はマーニーに対しても同様に抱きます。
(ここの一連のシーンは、現実と空想の入り混じり具合が一番どうかしてて、ナチュラルバグ感あってすごく怖いシーンなので必見です。)

その後、サイロから抜け出た途中で力尽きて倒れているところを、湿っ地屋敷の現在の住人である彩香たちに助けられた杏奈。しかし、つけていた髪留めはなくなり、現実世界でも空想世界でも、再び前髪が降りた非リア充状態になってしまいました。
CIMG1067.jpg
CIMG1068.jpg




○呪いを解いたもの
先日、私はこの映画の2度目の鑑賞に臨んだのですが、初見時よりもぐっときたのが杏奈が夢の中でマーニーと和解し、別れてゆくシーンでした。

この場面、初め観たときは
「だってあのとき、あなたはあそこにいなかったんですもの」
というマーニーのセリフが、その後のミステリーにおける解決パートのための伏線のセリフとして機能しているので、
「どういうことなんだろう?」
という気持ちのほうが先に来てしまって100%感情をもってけなかったんですよね。正直2度目の鑑賞でも気になる部分はあったので、ここは仕様のないとこなのかな…とも思うのですが、それはともかくも。

このシーンの後、ある人物からマーニーについてのお話が語られます。杏奈と観客は、マーニーの過去を知ると同時に、杏奈が生まれるよりもっと前、あるいは、マーニーが生まれるよりもずっと昔から、ある悲しみの連鎖が長い間続いていたことを知ります。

その連鎖を断ち切ったのが、なんの打算も、もしかしたら明確な理由もないかもしれない、
「もちろんよ!許してあげる!あなたが好きよ!」
という無償の気持ちのセリフだったことに気づき、私は漏れ出てくる鼻水を止めることができなかったわけです。

記事の冒頭で引用したジョジョリオン1話のモノローグ同様、『思い出のマーニー』は少女の心の回帰譚であると同時に
「呪いを解く物語」でもあったのです。




70年代末に、スティーブン・スピルバーグ監督は「未知との遭遇」という映画を作りました。

キャッチコピーは「we are not alone.」。

思い出のマーニーに同じようなキャッチコピーをつけるとしたらきっと、
「you are not alone.」となっていたのではないでしょうか。
(よく考えたら「未知との遭遇」にもyou are not alone要素はある気もしますが)


これからも、米林監督の作品には大いに期待していきたいと思います。

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